文学部横断型人文学プログラム

文学部とは
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文学部長挨拶

上智大学文学部のウェブページにようこそ!

 みなさんは、どのような関心をもってこのウェブページを訪問されましたか。文学作品を読むのが好きだから、新聞・雑誌・テレビの仕事がしたいから、歴史や哲学に興味があるから…そのような関心をもつ人びとを、文学部は心から歓迎します。

 ところで、そういう多様な関心をもつ学生を「文学部」という一つの学部が集めているのはなぜでしょうか。答えは、哲学、歴史学、文学、新聞学に共通の要素を考えてみればわかります。それは言葉に関わるということです。ですが、文学部は言葉だけを研究しているのではありません。言葉を通じて「人間性(人間の本性)」の探究をしています。文学部の諸学科は、それぞれの方法で、人間性の探究をしているのです。

 このような文学部の性格は「文学部」という名称によく現れているのですが、この点はよく見落とされます。実際、みなさんのなかには、なぜ文学部の中に哲学科や史学科があるのか、不思議に思ったことのある人がいるのではありませんか。ヨーロッパの大学では哲学部の中に史学科や文学科があるのに、日本の大学では文学部の中に哲学科や史学科があるのは変だ、などとまことしやかな声も聞こえてきます。ですが、これは誤解によるものです。実は、文学部は「文学」部ではなく「文」学部なのです。

 「文」は、人間が言葉で表現したものすべてを指します。だから哲学も、史学も、文学も、ジャーナリズムも含みます。その「文」のことを英語では「Text=テクスト」と呼びます。言葉による人間の表現である「文=テクスト」を読み解くことによって人間性を探求する学部が「文学部」なのです。その辺の事情は「文学部」の英語訳、“Faculty of Humanities”に一目瞭然です。Humanity=人間性をさまざまな方法で研究する学部、ということです。「人文学」と訳した方が誤解が少ないかもしれません。

 人間の現実のありようは実に多様です。異なった文化に触れるとき、わたしたちは「他者」を強く意識します。しかし、その多様性のなかにも共通の人間性が見いだされます。多様性のなかの共通性、そして共通性のなかの多様性に気づくことによって、わたしたちの人間性理解は深まっていきます。それは、いわば他者を知ることによって己を知ることでもあります。

 文学部での人間性の探求の基本は、人間がこれまで言葉によって表現してきたものを読み解くところにありますが、人間の表現のなかには、絵画や音楽などの芸術作品のように、言葉によらないものもあります。文学部では、そういう言葉によらない表現もいわば「文=テクスト」として読み解く対象にすることがあります。

 文学部では、言葉と格闘しながら人間性を探求する力を養っていきます。そのために、1年次から始まる必修科目や少人数のゼミナール=演習授業を通して、時間をかけて読解力・思考力・表現力を鍛えていきます。そして、学生一人一人の主体的な取り組みを通して、全学科で必修の卒業論文として4年間の探求の成果をまとめあげていきます。

 人間性を先人たちの残した「文=テキスト」を通じて自分の眼で見極めたい、そして見極めたことを借り物でない自分の言葉で表現したいと思っているみなさん。あなた方のために上智大学の文学部はあります。その文学部で学ぶことは一人一人の好奇心を満たすだけではありません。目まぐるしく変化していくグローバル時代をみんなで生き抜くための知恵を築く土台にもなるはずです。経済も政治も科学技術も人間性に関する深い理解なくしてうまく使いこなせるはずはないのです。

 もちろん、文学部の各学科で学べば、外国語の運用力、文書作成力、コミュニケーション力、批判的思考力、番組制作の技能、教員免許状など、実際的な能力も身につきます。しかし、文学部での学びは、それらを遥かに越えて広く深い根本的な人間知に至ることを目指しているのです。

文学部長 寺田 俊郎