文学部横断型人文学プログラム

横断型人文学プログラム

共通基礎科目

文化交渉入門

イントロダクション

 国文学科の本廣陽子先生による講義でした。
 文化交渉とは何かを、『源氏物語』を主な例として考えていきました。『源氏物語』の「桐壺」は、唐の詩人である白居易の「長恨歌」を踏まえているため、本作は海外から影響を受けた作品であると言えますが、『源氏物語』の翻訳や、本作を基にして書かれた小説などが世界中で出版されていることから、日本から海外へと影響を与えた作品でもあります。
 また、文学である『源氏物語』が「源氏物語絵巻」などの美術品、工芸品へと姿を変えているように、文学と美術といった分野間での相互関係も見られます。
 一つの作品の背後に様々な文化の交流が垣間見え、作品の奥行きをより一層感じることができました。

文学

 英文学科の松本朗先生による講義でした。
 小説がナショナリズムの形成に寄与したとされる19世紀とは異なり、現代では複雑なルーツを持つ作家や複数の言語を用いる作家、そしてグローバル化する出版市場により、「イギリス文学」のように国ごとに文学を分類することが難しくなっています。カズオ・イシグロなどの「生まれつき翻訳」と呼ばれる作品においては、複数の言語が共存し、言語の優位性や正しい言葉という概念に疑問が投げかけられています。
 また、現代では文学のジャンルや形式も国を超えて移動していますが、地域ごとに形が変わっていったり、別の政治的文脈で利用されたりすることもあります。グローバルな時代においてローカルなものとどう折り合いをつけるのかという問題が現代文学にはあるのだというお話でした。

演劇

 文学座所属の演出家、五戸真理枝先生による講義でした。
 歌唱場面を伴わず台詞のみで構成された演劇をストレートプレイと呼びます。先生はモリエールの芝居『守銭奴』をフランスで鑑賞した際に、身体表現を用いて言葉が分からない観客をも楽しませる点が、言葉に重きを置く日本のストレートプレイと異なることに気づいたと言います。
 国内外の様々な演劇と出会い、自由な演出の魅力に気づいた先生は、2016年に演出家としてデビューし、久保田万太郎の『舵』という作品において、水に浮かぶ6畳間という舞台空間を作り出すことで作品のテーマを表現しました。近代古典戯曲を現代演劇にするためには、テーマや解釈を明確に示し、人間の会話を生き生きと立ち上げることが大切だと言います。
 先生が演出家となるまでの道のりを中心に、貴重なお話を聴くことができました。

思想・宗教

 史学科の川村信三先生による講義でした。
 講義タイトルは「なぜ、今、ルイス・デ・アルメイダなのか―日本初西洋式病院の開設と日本人―」。ポルトガル人のアルメイダは、1557年に豊後の国主であった大友宗麟の助力を得ながら西洋式の病院を開設します。そこでは、病院を手伝う日本最初のボランティアと言われる「慈悲の組」が活躍しました。ヨーロッパで広まっていたミゼリコルディア兄弟会に由来する慈悲の組は、治療の手立てのない病人の世話や、死者の埋葬などをおこないました。
 彼らの活動だけでなく、自らの館近くに病院を建設させた大友宗麟の計らいは、これまでの日本では考えられなかったことでした。当時の日本では触穢思想が根強く、死や病などのけがれに触れることがタブー視されていたからです。
 日本人の拒絶反応を乗り越えヨーロッパの慣習を取り入れるという、東西文化交渉の重要な一例を知ることができました。

スポーツ

 基盤教育センター身体知領域の庄形篤先生による講義でした。
 サッカーやテニスなどの国際スポーツとは異なり、特定の民族により特定の地域のみで伝承されるスポーツを、民族スポーツといいます。韓国相撲のシルム、バヌアツ共和国のナゴールなど、民族スポーツは独自の価値体系のもとで行なわれ、地域や民族のアイデンティティを強化するものです。
 従来、ヨーロッパ以外の民族スポーツは未開で野蛮とされ、近代を通して排除・抑圧されてきました。しかし、グローバル化により異文化理解が進んだ現代では、スポーツに対する考えや価値観も変わり、多角的にスポーツを捉えられるようになったといいます。
 日本の柔道のように、民族スポーツが国際スポーツへと変化した例もありますが、その場合に従来の伝統・文化を保護するべきかどうかについて、グループ・ディスカッションも行なわれました。

芸術

 本学非常勤講師の中司由起子先生による講義でした。
 能楽師の中で能面を使用するのは、シテ(主役)やツレを演じたり、地謡を担当するシテ方だけです。能面は役柄によって使い分けられており、その種類は様々あります。無表情の象徴として考えられることも多い能面ですが、面が表しているのは中間表情であり、そこから役者の演技によって喜怒哀楽を示すのだと言います。
 海外においても、能面は美術品としてコレクションされたり、研究されたりしています。エルヴィス・プレスリーの幽霊が登場する作品など、英語能において新作能面が制作されることもあります。日本の能の形を活かしながら作られた海外の新たな作品を見て、能や能面に対する印象が変わりました。

哲学

 哲学科の寺田俊郎先生による講義でした。
 講義テーマは、哲学の視点から考える翻訳について。「権利」という概念は明治以前の日本に存在しなかったため、翻訳が困難な概念でした。ヨーロッパで権利を意味する語に含まれる「正しい」、「正義」という意味が「権利」という日本語にはなく、適切な訳語とは言えません。ただ、この言葉はヨーロッパ的な法律の体系とともに輸入され、その文脈の中で使われているため、正しい意味を理解することができるようになっています。それゆえ別の訳語を作る必要はないものの、現代の私たちはこの言葉への理解をもっと深めるべきだと先生は言います。
 その他にも人間の基本的あり方に関わる多くの概念がヨーロッパから輸入された言葉であるため、その意味を問い続けることで意味を深め、豊かにする必要があるというお話でした。

テクストを読む

イントロダクション

 英文学科の西能史先生による講義でした。
 講義タイトルにもある「テクスト」とは何でしょうか。textはラテン語で「織る」を意味するtexoに由来し、「言葉によって編まれたもの」を指します。つまり、「テクストを読む」ことは織物をほどくことであり、古典のテクストを現代の私たちが解きほぐすことも可能なのです。
 映画『コクリコ坂から』に登場するカルチェラタンの描写をヒントに、文学とは何か、テクスト解釈とは何かを考えていきました。

歴史のテクスト

 史学科の北條勝貴先生による講義でした。
 歴史学のテクストとは過去に書かれたものを指しますが、それを読解する際に、近年では客観的事実だけではなく、主観性や感情・感性、「心のひだ」を捉えることも重要視されるようになりました。オーラルヒストリーが談話内容の事実性に注目するのに対し、ライフヒストリーは語り手の抑揚や速度、淀みやためらいにも着目します。
 東日本大震災では、過去の災害に関する記録や伝承が活用されず、歴史による防災・減災がなされませんでした。災害のために歴史学が活かされるには、「心の復旧」が重要だと先生は言います。東日本大震災後には、行方不明者に対する帰宅や再会への願いから、心霊現象や怪談が多く語られたといいますが、同じように1896年の三陸大津波を背景とする怪談話を収めた『遠野物語』第99話から、災害をめぐる心性を読んでいきました。

メディア・ジャーナリズムのテクスト

 新聞学科のアルン・デソーザ先生による講義でした。
 メディアは人々にステレオタイプや偏見などの影響を与えることがあります。ある“オチ”を持つ映像作品を観てみると、前半のみを切り取って観た場合と後半まで観た場合とでは、黒人の登場人物の印象が大きく変わります。情報は切り取り方によっても異なって見えるのです。
 また、送信者から受信者に何らかのメッセージが伝達される際、両者の間に差異があると、うまく伝わらないことがあります。受信者の解釈が入ることで誤解が生まれ、それがフェイクニュースとして広まることもあるのです。
 情報の正誤や価値をどのように判断するべきなのかを、ディスカッションを通して考えていきました。

映像・イメージのテクスト

 ドイツ文学科の小松原由理先生による、フォトモンタージュについての講義でした。
 フォトモンタージュとは、平面上に写真を集め、1つの像を再び形成したもののことです。人物や風景を正確に記録する写真とは異なり、フォトモンタージュは絵画と同じく、不可視なものや人間の内面世界を表象する役割を持ちます。
 授業では、記憶を頼りにレオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』を紙に描いてみることで、絵画が持つ明白な意味(=ストゥディウム)だけでなく、個人的に気になった細部や、自分にとってのみ大切な意味(=プンクトゥム)を見出す体験をしました。

芸術のテクスト

 ドイツ文学科のクリスティアン・ツェムザウアー先生によるヴィジュアル・ポエトリー(視覚詩)についての講義でした。
 視覚詩とは、「読む」のではなく「見る」詩であり、図形のかたち、文字・記号の配置や余白部分、記号のサイズやフォントなど、テクストのイメージが重要となります。
 視覚詩の一種であり1950年代に始まるコンクリート・ポエトリー(具体詩)は、文字数が非常に少ない詩でありながら、言語に焦点を当てるものです。この語を生み出した詩人オイゲン・ゴムリンガーによる作品には、“wind”という文字が風で舞っているように見えるものや、“silence”という語が羅列され中央に空白があるものなどがあります。
 文字数が少ないからこそ、言葉について考え直すことのできる作品を多く知ることができました。

身体のテクスト

 基盤教育センター身体知領域のベ・ジユン先生による講義でした。
 ヨガに関する6つの資料の中から、各学生が割り当てられた1つのテクストを読み、そのテクストから浮かぶヨーギ(ヨガをやる人)のイメージを絵に描くところから授業は始まります。
 最初にヨガを学んだとされる伝説的人物についての資料では、魚の中で12年間修業をしたとされるマツェンドラの物語が描かれます。彼の弟子ゴーラクシャはナータ派の創始者ですが、ナータ派は現在のヨガに影響を与えている一方、今の常識では受け入れられない方法も多く行なっています。今の私たちが知るヨガは、そこから綺麗にそぎ取られたものなのです。
 それぞれの学生が描いたユニークなヨーギの絵とともに、イメージを膨らませながらヨガについて学んでいきました。

文学のテクスト

 英文学科の町本亮大先生による講義でした。ミュージカル映画『マイ・フェア・レディ』を鑑賞し、原作のジョージ・バーナード・ショーによる戯曲『ピグマリオン』や、ミュージカル『マイ・フェア・レディ』との相違点について考えていきました。
 映画では最後にイライザがヒギンズ教授のもとに帰ってくるというハッピーエンドを予感させる結末となっていますが、原作にこの場面はありません。ショーは『ピグマリオン』の再版に後日譚を加え、イライザがヒギンズではなくフレディと結婚したと述べているのです。一方で、映画版ではイライザとヒギンズのロマンスを可能にするため、原作からの改変を数多くおこなっています。
 原作に含まれるテーマやアイロニーが映画の中でどのように変化しているかを知ることができました。

受講生の声(2018年度)

  • 批判的にテクストを読むことが、決して作品に対して否定的にとらえるということではないことを学んだ。(哲1年、女性)
  • 歴史学についても同じことがいえるが、物事をひとつの視点だけで見てはいけないということが分かった。その事実そのものだけを見るのではなく、背景を見ること、またどのような立場に立った時の意見なのかということをよく吟味し、理解しようとすることが大切だと考えた。(史1年、女性)
  • 今まで国文学ばかり読んできたので、独・仏・英の文学や芸術にふれることは、とても新鮮であったと同時に、大変おもしろい内容で毎回授業が楽しみだった。また、どの文学、芸術も当時の文化や環境のコンテクストが含まれており、今まで無意識にふれていた部分をこれからは意識してみたら、鑑賞の仕方、味わい方に新しい可能性が秘められていると思う。(国文2年、女性)
  • その物事には表面上の意味とそこから拡張された意味・意義があることを学んだ。ただ見て受容するだけでなく、批判的または客観的に分析することが重要だと思った。(英文1年、男性)
  • ただ与えられた情報や知識を鵜呑みにするのではなく、まず疑いの目を持って考えてみることで、新しい気づきや発見をすることができると思った。(独文1年、女性)
  • 自分の興味以外にも様々な面白い学びがあることが分かって、視野が広がった。(仏文1年、女性)
  • 人に伝えたいことを伝えるためには、どんなものにもテクストになり得るのではないかと思った。そして、それを理解するためには背景知識などが受け手には必要とされ、相互のコミュニケーションに近いものがあると思った。(新聞1年、女性)